2019年04月17日

2019年2月

立春も過ぎ、寒さはまだ厳しいものの、春の花も蕾が少し色づきはじめて、ようやく春に近づきつつあるのが感じられるこの頃です。
節分にはニュースで巻き寿司の具が大量廃棄されたり豚の餌になってると報じていたので、巻き寿司を手作りする私は「今年は絶対材料を捨てない」と決め、干瓢、椎茸、高野豆腐、海老、カニカマ、卵、三つ葉、青じそ、人参、胡瓜を用意し、巻き寿司作りを始めました。

予定では6本作るはずが、そこはアバウトな私。「干瓢が余る〜っ!」「高野豆腐が使いきれないっ!」と、それらを使いきるために結局他の具材を買い足し、買い足した具材がまた余り、それを使いきるためにまた他を買い足し、で、なんと14本の巻き寿司ができてしまい、家族も「無計画に作るからや、もういらん、近所に配れ!!」と言う始末、ご近所からも「もう買ったしいらんわ」と断られ、3日かけて食べる羽目になりました。家は酢臭くて胃袋も酢が回ってる感じでもう当分寿司は見たくない…

こういうイベント的食べ物は結局は無駄が出るものなのね…。
次はバレンタイン。生協で頼んだのを忘れ、次の週にも注文してしまい、こちらも無計画の結果チョコの箱が既に6個届いております。チョコは日持ちするし、まあいいわ、とテレビ見ながらボリボリやって、豚街道まっしぐらです。

さて、我が家の猫は低空飛行ながらも元気でおりますが、1月の終わりから物置に腹水がパンパンに溜まったヨタヨタの瀕死の野良猫が住み着いております。「寒い中、のたれ死ぬのは可愛そうだし、死ぬならうちで死んだらええよ、見送ってあげるから」と仏心を出し、猫マットに毛布を買いに走り、さらにカイロを買いに行き、朝に夜にとカイロを変えての世話で忙しい。1週間持たないだろうなと思ってたら、餌を置いても飲まず食わずでもう半月。最初の頃は「生きてるか?」「頑張りや」とカイロを交換する度に言ってたのが、さすがに「実は他でご飯食べてるのか?」「いつまでいる?」という心境になりつつあります。
ヤバイ、住み着いたら困るんだけど…。まあ、何かの世話をしてるうちが花、自分が世話されるよりいいか… 手を出してしまったからには最後までなんとか看ないと…

毎日食べ過ぎでブクブクに太った我が家の「大福(1才のオス猫)」が「僕も僕も」とまとわりつく中で、瀕死の猫のために交換用のカイロを振り振り、「これなら食べるかも?」と刺身や鶏ササミを茹でてる私なのです…。
【エッセイの最新記事】
posted by 管理人 at 09:37| Comment(0) | エッセイ

2019年02月10日

2019年1月

みなさま、明けましておめでとうございます。
平成もあと残すところ2ヶ月と少し。小渕大臣?が「平成」と書かれた紙を発表して時代が変わったのが30年も前だなんて、年月がたつのは早いものです。
私の平成時代は、子どもを2人産み育て、その子どもも社会人となり、若奥さんから年配へと人生の佳境を過ごしました。
阪神大震災、東北大震災、豪雨に地震と、本当に災害の多い年でした。次の時代は皆が穏やかに過ごせる時代であってほしいと望みます。

さて、時代が変わると年号が変わり、公務員は日常すべての日付を年号で表すために厄介なことが様々発生してきます。
私は1年ごとに雇われる契約社員みたいなものなので、毎年履歴書を出さないといけないのですが、私のように職を変えてる人間は「○年○月○会社に○ヶ月勤務」「○年○月に○学部に○ヵ月配属」 みたいな記載をする時に年号で書くのがさっぱりわからん。逆算できないし。
西暦ならすぐ書けるのになぜ年号じゃないとダメなの?
毎年テキトーに書くから「去年の履歴書と食い違う」と指摘される。
しかも学校は3月が区切りだから平成31年3月の卒業式は「平成30年度3月卒業式」となり書き物にミス続出。
時代がまたがると「○年前の資料を見ろ」と言われても、それが平成何年なのかそのうちわからなくなるよ、きっと。
これを機会に西暦に変えてくれんかな…と思っております。


さて、話は変わり、我が家の16歳の猫、うずらは、また年末に2度目の心筋梗塞を起こし、心臓がもう半分くらいしか機能してないのか、呼吸は荒いし咳はするし(心不全の症状)正月越せないかも、とヒヤヒヤでしたが、私の献身的介護と愛情で今も低空飛行ながらまだ頑張っております。
朝は5時頃から、2階の私の部屋まで階段を上がってきて、ゼイゼイ言いながら「餌変えて」「新しいの入れて」と鳴いて起こし、眠い私は身体を引きずるように起きてウズラを抱いて1階へと降り、まだ入ってる餌を捨て新しいのへと変えてまた眠る。小一時間もたたないうちにまた上がってきて「別の入れて」と鳴くからまた降りる。ちょっとしか食べず、「新しいのちょうだいよぉ」と要求するウズラに「食べてくれるなら何でもさせていただきます」状態で御奉仕の毎日。ろくに寝た気がせぬ日々が続いております。
しかも、ウズラの心筋梗塞の薬は朝晩2回。朝は心臓を強くする薬と蛭(ヒル)から抽出した血をサラサラにする薬。なんでも蛭はあんだけいろんな動物の血を吸っても血が固まらないから血を分解する機能があるとかで、人間でもこの蛭の薬はあるらしい。
夜は心臓を強くする薬とミミズから抽出した薬。ミミズも血をサラサラにするらしい。
朝8時と夜8時(12時間あける必要があるので)何があっても夜8時には帰らにゃならん。もうウズラ中心の生活です。
それに加えて息子が勤務から帰るのが深夜だったり、朝7時出勤だったりと、こちらのご飯の仕度もあり(放っておけばいいんだけど私の性分として放っておけない)、寝ててもハッと「今何時!?」と起き、「6時か、6時って夕方の6時? 夜の6時?」と、もう体内時計が狂って訳わからん状態。
年なのでかなりキツいですが、「誰かから必要とされてるうちが花」と祖母が言ってた言葉を思いだし、奮起する日々です。


今年のゴールデン・ウィークは10連休だとか。こんな状態で、海外どころか一泊旅行も行けるかいっ!とニュースを見ながら毒づく。
そして甘いものに走る。
年号が変わる頃には体型も変わってるよ、きっと。

パツパツになった服に不安を感じつつも「寒くて重ね着してるからだわ」と自分をごまかしながら今日もボリボリお菓子を食べながら過ごしているのでございます。
posted by 管理人 at 14:50| Comment(0) | エッセイ

2019年01月23日

2018年10月

先月も先々月も、クーラーや携帯会社の悪口を書いてしまい少し反省。
システムを理解できてない私がそもそも悪いのは重々承知、そこを認めたくない愚痴でございまして、ちゃんと一般人レベルまで理解できるようにしとかなあかんなと感じるこの頃です。

というのも、ここ半年ほど携帯に、「請求書送りました」とか、「添付ファイルに見積書あり」みたいなメールがよく届き、支払わないとあかんものなどないのに何なん?と思うことがよくあります。
娘や息子の携帯には「そんなん届かない」そうで、息子は
「返信するなよ、絶対!! あんた、オレオレ詐欺に一番ひっかかるタイプや。以前に【アドレス変えました】メールに返信したから【こいつアホやし騙せるで】って情報広がってんねんで。母さんみたいなタイプなんて言うか知ってる?」
私「なんていうの?」
息子「自業自得。あ、ちがうか、時代錯誤?ん? 馬耳東風? 唯我独尊? なんかピッタリこんな。そういう四文字熟語何? アンタそういうのは得意やん」

上から目線、腹立つ〜……
私「疑ってかかれ、みたいなご時世になったんや、と悲しく感じてしまうわ」
息子「それは違う。情報を正しく選択しろと言うてるだけや。」

結局私は携帯やパソコンに流れてる不特定多数の情報を取捨選択するのが弱い。取り扱い説明書にも弱い。というか、書いてある内容がさっぱりわからん。あんなカタカナと専門用語いっぱいのものは、基礎知識がある人に対する上級者用説明書であって、ゼロからスタートの初心者用じゃないわ。
そこはダメダメだけど、自然や人との関わりのや日々の暮らしの中で体験したこと、共感したことを自分の知識として積み重ねてきてるからそういう知識はめっぽう強い。ただ見ただけの情報はなかなか知識として残らないんだと思う。
対して娘や息子の世代は目から情報を得るのが主流だから、日々その訓練をしてるようなもので、機械から得たものを記憶や知識として積み重ねることができる。その違いなのかな、と思っています。
あまりの言われように反発してそう息子に返すと、
「ふ〜ん。身についた知識と目にした知識は違うと言いたいわけ?」
「どっちが上とかじゃないんだけどさ、私ら世代は心で感じないと記憶に残りにくいわけよ」
「は? 目から入った情報も身体で覚えた情報も、結局脳が処理するんやけど。だいたい身体で覚えるとか心で感じるとか、そもそも全部脳の仕事やけど。」
「目から入った情報はなんか浅い気がする。心で感じたり実際体感してこその深みがあるはず」
「あんたの言う<心>てどこにあるんや。心臓か? 」
「心臓じゃないけど…いわゆるハートっちゅうものよ」
「抽象的」
「だーかーらー、心で感じた記憶はアンタらには負けませんと言いたいわけよ。携帯情報には弱くても」
「はいはい」
「わかってくれた?」
「つまり目だけでは脳がインプットできず、別の身体のパーツも使わないと脳の回路がつながりませんということやな」
「はぁ? そんな不具合みたいなもんじゃなくて」
「そういうの、なんて言うか知ってるか?」
「苦手?」
「老化」
「なんだと!?」
「いやちがうな、老化は以前できてたことが年取ってできなくなることや。元からできてないんやし老化やないわ。欠落?」
「不慣れによる不得意です!」
「何にせよ、フィッシングメールがあんただけに来るってことは、アンタは世間に認られめた【すぐにひっかかるカモ】ってことなんやから気をつけな危ない。人を信用するなとは言うてない、人を見極めろと言うてるんや」

オレオレ詐欺がいつまでたってもなくならないのは、世の中にいい人が多いからなんですよ。「助けて」に応えようとする人がまだまだいるからなんです。そういう良心を逆手に取る詐欺はホント許せん!!

そういえば、大坂の刑務所を脱獄した受刑者が四国まで逃げて捕まったニュースがありました。「顔も見てるのになぜ気がつかなかったんだ!!」と言う人もいるけど、役所でサイクリングのプレートを作ってもらい御礼を言いに再度訪れたり、親切にしてくれた人に御礼の手紙まで渡すなんて、そんな儀礼をつくす丁寧な人が逃亡中の犯人だなんて誰も考えないよ。絶対好青年と思うもん。だからみんな信用してしまったんだろうなと思う。
騙されるなよ! と怒るのはごもっともだけど、騙される人がいるってことは、まだまだ優しい世の中なんだな、とも思う。

息子もそこは同意してくれるだろうと思ってそう話すと、
「その四字熟語、ピッタリなのがあるで」
「何?」
「自己弁護」
「なんだとー!?」
「騙された私は悪くないと言いたい訳やろ?」
「なんで伝わらないかなー、騙される側は悪くないと言ってるんじゃなくて、騙されないよう気を付ける意識を持つことは必要やなんやけど、でもそういう善人がまだまだいるからこそ騙す人が存在する、みたいな?」
「わかった」
「やっと伝わった?」「つまり」
「つまり何よ?」
「自画自賛」
posted by 管理人 at 09:28| Comment(0) | エッセイ